スマホゲームアプリ「ブルーアーカイブ -Blue Archive-(ブルアカ)」のメインストーリーの魅力を紹介する連載。第7弾は「対策委員会編」第3章。

リアルタイムではプロローグ含め、実に6回の更新で物語が綴られた「対策委員会編」第3章。その幕開けとなるプロローグが公開されたのは2024年2月。そこから約5ヶ月をかけて紡がれた物語は、壮大なクライマックスへと到達しました。
「この2秒足らずのためだけに作ったの?」と聞きたくなるほど一瞬で映り終わるスチル。メインストーリーではおそらく初となる2頭身の3Dモデルを用いた演出。と思いきや、迫力の戦闘シーンはガチすぎるアニメーションで描かれる。特に中盤からの演出と物語の加速ぶりは目を見張るものがありました。
さて、この章では、いくら重火器でドンパチしても死ななかった「ブルーアーカイブ」の世界では珍しく、「死」が強く物語に影を落としています。亡くなったのは梔子(くちなし)ユメ。アビドス高等学校の元生徒会長であり、ホシノが支え続けた存在です。
ユメの不在がもたらす影響
対策委員会編の物語は、ユメの影響なしには語れません。彼女の不在は、アビドス高校が抱える借金や、ホシノにのしかかる責任といった形で、現実的な問題として残されています。
今回もまた、ユメが残した契約書が発端となり、対策委員会のメンバーは苦境に立たされます。このピンチに対して、対策委員会の面々が総会への参加だったり、生徒会長の権限委譲で抜け穴を突こうとしたりと打開策を探るものの、その道のりは困難を極めました。明らかに、1章2章のピンチの乗り切り方とは異なる方法を強いられています。
この場にいないのに影響が大きい。影響が大きいのにこの場にいない。だから何一つ聞くこともできない。死人に「口なし」とはよく言ったもので、対策委員会は今もなおユメの影響下にあると言ってもいいでしょう。

では、いなくとも影響力を発揮するほど頭の切れる傑物かというと、そうではない。むしろ夢想家に近い理想家とも言える純粋な人物で、ポカをやらかしてはホシノに助けられ怒られる始末。また、ホシノどころか人並みの戦闘力があったとも見えません。無法者がはびこるキヴォトスでは非常に生きにくい人です。
ただ、そんな弱みをすべて覆い隠す、というか包み込んでしまうほどの並み外れた強みは、並外れた善性でした。
どれだけ他人に利用されても人助けを止めるべきじゃない、どんなに理不尽を受けようもと争いに慣れるべきじゃない。そう言い切れるのは並大抵の人物ではありません。「小さな積み重ねが、いつか大きな奇跡になりますから!」と言い、アビドス復興の夢を信じ切る強さは、誰でも真似できるものではないでしょう。

この荒んだ世界でどんな目に遭おうとも、ホシノにどやされようと、曲がらない信念を持っているのがユメという女の子。ですが、そのユメの光に浄化されるどころか、ずっと引き寄せられるがままなのがホシノです。
人は悲しみを悲しみのまま受け止められない
ホシノはユメの善性にあてられた人間の一人。ユメがどれだけ失敗しても、このドジな生徒会長をホシノが見捨てることはありませんでした。それは多分、アビドスの復興をともに目指していたから。ユメが語る理想を、どこかで信じていたからではないでしょうか。

しかし、なまじキヴォトス最強の一角を担うほど強いホシノもまた、力以外の問題の解決方法を知りませんでした。
特に3章前半は、対策委員会が力ではなく知恵を使い、交渉や戦略で砂漠横断鉄道の権利を取り戻そうとしていました。しかし、それが失敗に終わったとき、ついにホシノが「力」で事態を打開しようと試みます。その流れは、読者にも「もう力で解決するしかない」という緊迫感を与えてくるほどでした。
ホシノが戦う理由は、アビドスの未来を守るため。けれど彼女個人としては、贖罪の意識もあったのではないでしょうか。優しくて、何があっても抱きしめてくれたユメに対し、「お礼を言う機会すらない」。死んだ人には、二度と会えないのです。
人は、悲しみを悲しみのまま受け止めるのが苦手な生き物です。ほとんどの場合、悲しみとともに「罪と罰」を合わせて受け止めてしまう。例えば、「こうなってしまったのは○○という罪を犯したからだ」「このような悲しみを味わわせたものに罰を与えないといけない」というように。ホシノもまた、ユメの死を自分の罪だと捉えてしまっています。
ホシノが手放したもの
そんなホシノを救ったのも、やはりユメでした。とはいえ、それは「ナムラ・シンの玉座」によって現れたユメなので、現実ではありません。現実ではないのだけれど、ユメのことを最も知るであろう人が、「ユメならこう言うだろう」と信じたユメです。



ホシノが最も会いたかった人は、「後輩を守ってあげないと、ね」と彼女に言った。それは、ホシノに過去ではなく未来を見るよう促す言葉でした。自分の方を向くのではなく、今目の前にいる子たちと向き合ってほしい。15話でホシノ自身が口にした「アビドスの未来」という言葉や思いとも重なります。それは、生徒会長の最後の導きだったのです。

ユメが自分の中にある夢を信じたように、ホシノもまた自分の中にいるユメを信じた。死人が語ることは絶対にないけれど、その胸の内を想像し、信じることはできる。「ユメが本当はどう思っていたのか」という疑念や不信を手放したからこそ、ホシノは救われた。だから、手帳も見つける必要はないんですよね。
余談ですが、過去との決別という点において、シロコ*テラーとの対比には興味深いものがあります。切り離す対象が過去の自分であったホシノに対し、シロコ*テラーは過去の仲間を切り離している。死の乗り越え方は人それぞれ、一つではないのですね。
「ブルアカ」が描く「喪失とその先」
地下生活者の言う通り、死という事実を変えることはできません。生きている人はそれを乗り越え、前に進むことしかできない。
では、生きている人は死をどう受け止めるのか。もっと言えば、悲しみも苦しみも幸せも、自分自身の一部としていかに受容していくか。悩み苦しみもがきながらも、やっとの思いでユメの死を乗り越え、前を向くことができたホシノの姿を通じて、「喪失とその先」に向き合う人間を、鮮烈に描いたエピソードだったように思います。
……と、ユメとホシノの話に終止してしまいましたが、個人的なハイライトはご多分に漏れずホシノVS.空崎ヒナの激闘でした。キヴォトスのトップオブトップ同士の戦いが、スチル、3Dアニメ、2Dアニメと遠慮のない物量でスピード感たっぷりに描かれます。それまで誰も止められなかったホシノが全く余裕をなくしている姿に、ヒナの強さが感じられますよね。シーンを選ぶでしょうが、今後もこういった演出に期待がかかります。
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