2025年4月3日よりNetflixにて配信が始まったアニメ「Devil May Cry(デビルメイクライ)」をご紹介。ネタバレを含む表現については、警告を挟みながらお届けするため、アニメ未視聴の方も安心してお読みいただけます。

ビデオゲームの映像化と聞くと、つい身構えてしまう方も多いかもしれない。原作となったゲームが好きであればあるほど、「再現度は高いのか」「原作と地続きなのか」「ゲームの魅力を上手く換骨奪胎してくれているか」など、気になるポイントが多くなってしまい、つい厳しい評価を下してしまった経験はないだろうか。

カプコンのゲームの映像化といえば、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演のサバイバルアクション映画という出だしから段々と原作要素を継ぎ足していき全6作もれなくヒットした「バイオハザード」や、その延長線上にある同監督同主演による「モンスターハンター」の実写映画が記憶に新しい。ネトフリアニメとしては、設定だけを借り新たに宮本武蔵を主人公として製作された「鬼武者」が現在配信中で、ゲームの忠実な再現とは言えないものの、古き良き日本映画へのリスペクト溢れる一作として筆者も楽しませてもらった。

ネトフリ版「デビルメイクライ」シーズン1レビュー:アニメならではの挑戦は脱・悪魔狩り!?の画像

そんな中、これまたカプコンを代表するアクションゲームシリーズ「デビルメイクライ(以下、DMC)」の新しいアニメが、先日よりNetflix(以下、ネトフリ)にて独占配信が始まった。シリーズのアニメ化としては2007年のマッドハウス制作のTVアニメ版がすでに存在し、今回で二度目の映像化となる。制作は「ウィッチャー 狼の悪夢」を手掛けた韓国の「スタジオミール」が担当し、日本語音声ではゲーム版でのオリジナルキャストが続投。主役を務めるのはもちろん、デビルハンターのダンテである。

そんなネトフリ版DMCだが、結論から言うと原作ゲームや旧アニメ版との繋がりはなく、ゲームを忠実に再現したという趣きでもない、一部の設定とキャラクターを借りて語られる全く新しいデビルメイクライである、ということを最初に断言しておきたい。本作が過去作の連綿と続く物語に影響を与えるものではないため、原作を愛する気持ちゆえにアニメ版が不安であるという心理的なハードルをお持ちの方は、どうかご安心いただきたい。

ネトフリ版「デビルメイクライ」シーズン1レビュー:アニメならではの挑戦は脱・悪魔狩り!?の画像

物語は、ホワイトラビットと呼ばれる悪魔がバチカンに収められている魔剣「フォースエッジ」を手にするところから始まる。アメリカの副大統領ベインズは、かつて人間のために闘った悪魔スパーダが、人間界と悪魔が住まう魔界との間にあるゲートを塞ぎ、その封印を維持しているのがフォースエッジと、二つに分かたれたアミュレットであることを突き止めていた。そしてベインズは、アミュレットを入手するために特殊部隊を向かわせる。スパーダの血を引くデビルハンター、ダンテの元へ。

ゲームを遊んだことのある方であれば、このあらすじを読むだけでネトフリ版が「一作目のリブート」をやろうとしていることに気づけるだろう。スパーダの伝説と、半人半魔であるダンテの出自を巡る物語。ネトフリ版はそこにエンツォやレディといったおなじみのキャラクターを登場させ、これまでにない全く新しい「エピソード1」を創造している。ダンテもまだ未熟なところがあり、悪魔の血を引いていることや自身に秘められた力も知らない、我々がよく知るあのダンテになる前の姿として、アニメーションの世界を躍動する。

ネトフリ版「デビルメイクライ」シーズン1レビュー:アニメならではの挑戦は脱・悪魔狩り!?の画像

ネトフリ版DMCは新たに、衝撃的な設定を追加している。原作であれば我々プレイヤーが倒すべきエネミーであり、コンボを刻む案山子として普段お世話になっている「悪魔」だが、彼らの出自は人間と同じ祖先であり、その種族が魔界へと移り環境に適応してあのおぞましい姿と力を得た者なのだというのだ。元よりダンテは悪魔の父と人間の母との間に産まれた子どもである以上、シリーズが本質的に抱いている「同族殺し」の要素を、ネトフリ版はあえてフィーチャーしているのである。

これはかなり挑戦的なことで、原作ゲームであればまず採用されないような設定だ。下級悪魔をハイタイムで浮かせてエボニー&アイボリーの弾を喰らわせている最中に「でもコイツらも元は人間なんだよな」と思わせたら、楽しいゲームを取り上げられた気分になるだろう。悪魔は人間界にやってくる悪い奴らで、倒されるべき敵である方が都合が良い。その枷から解き放たれた、原作には出来ない表現に踏み込んだネトフリ版は、シリーズファンだからこそ展開が読めないし、ハラハラさせられる。その物語においてはダンテと、我々のよく知る「レディ」と呼ばれる前のメアリ=アン=アーカム中尉も迷い、葛藤することを避けられない、実にシビアな問題を扱ったアニメなのだ。

以下、終盤の内容に触れる文章が含まれるため、ご了承の上読み進めいただきますようお願いいたします。

ネトフリ版「デビルメイクライ」シーズン1レビュー:アニメならではの挑戦は脱・悪魔狩り!?の画像

アーカム中尉と視聴者をさらに悩ませるのが、魔界を抜け出して人間界に潜伏し暮らしている者たちの存在だ。悪魔の住まう魔界は弱肉強食の世界であり、その空気は汚れていて、弱き者は生き延びることもままならず、産まれた子どもも一年保つことは稀だという。そうした環境に適応できない「魔界人」たちを人間界に連れ出しているのが悪魔ホワイトラビットなのだが、彼は彼で魔界人に非人道的な実験をしていることが明かされる。

日本語音声での台詞でも明言されている通り、本作は後半の話数より「不法移民」のテーマも見え隠れするようになっていく。魔界人たちは争いを避け平穏を望んでいるが、魔界では生きられず人間界でも肩身の狭い思いを強いられる姿は、観ていて心が痛むものがある。それに対し、本作のアメリカ大統領の描写はやや露悪的なところもあるが、その排他的な言動も現実の社会問題を参照していないファンタジーとは言いづらく、魔界人の容姿が我々とあまり相違ないことを踏まえたとき、後半のとある展開はかなりショッキングで目を背けたくなってしまう。

これにより本作は、悪魔をただ根絶やしにすれば解決という勧善懲悪ではなく、魔界や魔界人といった解決すべき諸問題が増えていく、悩ましい事態へと転がり込んでゆく。クライマックスではついに殲滅戦への口火を切ってしまった人類だが、暴力には必ず報復が返ってくる。ついにあの人気キャラクターが参戦!と喜んでいたのも束の間、海の外で実際に起きている悲劇を思い起こさせる展開を前にして、ダンテやアーカム中尉の活躍を無邪気に喜ぶわけにはいかなくなった。悪魔を倒すという、原作の根幹を揺るがせる内容を含んだ本作は、「アニメならでは」をしっかり刻印した制作サイドの意欲であると同時に、賛否両論は避けられない過激な問題提起となってしまっている。

ネトフリ版「デビルメイクライ」シーズン1レビュー:アニメならではの挑戦は脱・悪魔狩り!?の画像

本作の弱点とはまさに、DMCを象徴する「スタイリッシュ」とは程遠い、陰惨で暗い描写が含まれていることである。原作再現の度合いとしてもお世辞にも完璧とは言い難いし、ゲームを遊んでいる際の爽快感や格好良さを堪能する舌触りとは正反対の、現実の社会問題にまで射程を伸ばした物語は、DMC“らしさ”から逸脱したものだと感じる方も多いと思う。

そうした諸々への回答を、すでに発表されているシーズン2に丸投げしていると見ることもできるため、現時点での内容では消化不良を感じてしまうかもしれない。ダンテとレディの、悪魔を狩るという自らに課してきた行いがどう変容するのか、人間界と魔界人の関係性はどうなってしまうのか。全ては、現時点では配信時期不明の新シーズンまでお預けになってしまった。

一つだけ希望を見出すとすれば、本作が「Devil May Cry」である、そのことにあるのではないだろうか。人間は他者を排斥・迫害する邪悪な一面もありながら、誰かのために涙を流すこともできる。そして時には、悪魔も涙を流すこともある。そんな「心」を持っているのであれば、繋がり合うことも夢物語ではないのかもしれない。本作のエンディングに「あの楽曲」を採用した作り手が、この一点を外すことはないだろう。そんな未来予想図を、一介のシリーズファンである筆者の個人的な思いとしてこの場を借りて書き記しておきたい。

アニメ「Devil May Cry」はNetflixにて独占配信中。
https://www.netflix.com/title/81506915

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